Results tagged “Word”

Jan 302010

その時の感じでやれや!

「その時の感じでやれや!」

名言だ。

Sep 042009

切なさ、ロンリーハート

金が無い時に欲望は高く
金がある時に欲望は薄れている

時の流れとはなんと切ないものなのか・・・

Aug 152009

世の中

「自分しか愛していないのに
他人を愛していると勘違いしている奴が・・・

多すぎる」

ref:limit2 #3 ダークサイド 梅木拳

Feb 142009

言挙げ

ヨーロッパ諸国は、こうして個人道徳とは異なるレベルで、 国益貫徹の冷たさを美しく包む言語を豊かに発達させ、自由と 民主主義、平和と繁栄、福祉と人権など、美しい言葉を繰り返 しつつ、自国の利益を守り、かつ他国との利害関係の均衡を図 っていった。
JOG(172) 言挙げの方法

このページの記事は非常に興味深い。この根底にある思考の違いはデザインとかブランディングにも通じる部分があって、欧米と日本の広告の違いの理由の一つかも知れない。

少し話はずれるが、最近意味無く考えている「広告のタスクとその結果」。
A)潜在的ニーズを持つ人の心の扉を叩き、その人から金を引き出し、満足を与える
B)潜在的ニーズの無い人の心の扉を蹴破り、その人から金を引き出す。
C)潜在的ニーズの無い人の心の扉を蹴破り、その人からお金を引き出すが、満足を与える。
D)潜在的ニーズの無い人の心の扉を蹴破り、その人からお金を引き出し、満足したような気にする。
CとDの違いは人間の幸福論になってしまうのでなんともいえないが、Aは必須として、理想の形はC。これは広告だけの話ではなく、その商品自体の持つ力とのトータルでの勝負になるが・・・(Appleとか?w)

現実は「継続的な関係の構築」という、その先のステップでみんな四苦八苦しているわけだが・・。

Feb 062009

自らの内部、よって立つ根幹への本質的な批判のまなざし

こういうスタンスは忘れないように心がけていることの一つ。
WebでもDesignでもFlashでも、Photoでも同じだろう。
存在否定が存在動機だったり、動機じゃなかったり。

06 TDC展の会場での大日本タイポ組合の作品が「面白い冗談」どころではない、無気味な「恐ろしさ」を示しているのは、そのありかたが、関係のない第三者、外部から向けられたリスクのない「お前はいらないよ」という発言ではないからだ。大日本タイポ組合は、様々な種類の仕事の一部としてタイポグラフィーを扱っている、というデザイナーではない。ユニット名通り、まさに文字デザインということを成立基盤の中核に据え、文字デザインそのもので現実的に生存している。その彼等が、自らの内部、よって立つ根幹に本質的な批判のまなざしを向けている、という事が、今回の出品作に決定的な批評性の高さを与えている。 06 TDC展で、彼等が明らかに大賞作品始め他の受賞作を圧倒する凄みを獲得しているにも関わらず、そして06 TDC展自体がそのことをほぼ認めているにも関わらず無冠で終わったのは当然だ。06 TDC展は、大日本タイポ組合に恐怖したのだ。展示は今日まで。
Ref.2006-04-26 - paint/note

Jan 312009

芸術は一種のいたずらだ、美術家はいたずら小僧だ。

肩の力がなんか取れました。

「大学でよく講演をやっていた当時、わたしはこういった。
「みなさん、芸術に手を染めなさい。どんなにまずくても、どんなにうまくても、それでみなさんの魂は成長します」と。
みんなが芸術をやるのはそのためだ。有名になりたいからでも、金持ちになりたいからでもない。自分の魂を成長させるためだ。

美術批評をいろいろ読んで不満を感じるのは、それがみんなから絵を描きたいという意欲を奪うことだ。ダンスの批評も、みんなから踊りたいという意欲を奪うことだ。
それじゃ、いけない。だれもが絵を描くべきだ。やってみると、なかなか気分のいいものだしね。だが、批評家にいわせると、斬新でないとだめ。まるで芸術にも進歩が必要だ、といわんばかり。

冗談じゃない、進歩をめざす必要はない。
芸術は一種のいたずらだ、美術家はいたずら小僧だ。
実際にはなにも起きてないが、彼らはみんなを感情的に反応させようとする。芸術をまなぶのは、自分のたましいを養なうためで、出世するとか、有面人になるとか、金持ちになるとかのためじゃない。あくまでも人生の過程だ。芸術は、食事や、セックスや、運動と同じで、成長に不可欠なものだ。それによって人間は自分が何者かを発見できる。

以前のわたしはよく聴衆に議論をふっかけたものだが、いまはもうそんな機会もない。もしそんな機会があれば、こういうだろう。「今夜、ひとつ詩を書きなさい。それをできるだけいいものにしていく。四行、六行、それとも八行。できるだけいいものに。ただし、その詩のことはだれにも話さない。誰にも見せない。やがて、そして、これ以上にならないと満足したら、原稿をビリビリ引き裂いて、ほうぼうのゴミ箱へばらばらに捨てれば、自分の努力の完全な報酬を受け取ったことがわかります」。

それが創造という行為であり、そこから大きな満足が得られるわけだ。」 

カート・ヴォネガット「すべて成し遂げた後の憂鬱」

ref:イルコモンズのふた。 : ▼やっぱり芸術に(C)はなくてもいいと思う(その理由)

アートってなんじゃぃ?(去年のChim↑Pomの件とか)ってウニャウニャ考えて深みにはまっていたのだけどちょっと肩の力を抜こうと思った。

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Jan 192009

XML最大の災厄

C#で実感する「LINQ to XML」の素晴らしさ - @ITというタイトルのこの記事の約25%が、「精神の子どもたち」に対しての批判になっている。

XMLという技術を襲った最大の災厄とは、「僕の賢さ」を誇示しようとする「精神の子どもたち」の大挙流入にあるといえる。ここでいう「精神の子どもたち」とは、自分自身を自らの能力以上に優れた存在だと思い込んでいる者たちを示す。別のいい方をすれば、自己評価と社会からの評価にギャップがあるという問題を抱え込んでいる者たちだともいえる。つまり、「僕は本当はもっと優秀なのに、社会はそれを認めてくれない」という屈折を抱えた者たちである。
 XMLは、SGMLの後継言語として生まれたが、誰でも使えるようにSGMLの過剰に複雑な機能を除去して成立したものであった。そして、一貫して普及戦略の「簡単である」「誰でも使える」というイメージをアピールした。その結果として、さほど高い技術力を持たない「精神の子どもたち」であっても、XMLを扱うことができた。

 一方で、単純明快にするために多くの機能をそぎ落として成立したXMLには、含まれていない機能も多くあった。そこで、「精神の子どもたち」は XMLを使って「僕らの優秀さ」を証明できることに気付いたわけである。つまり、大人気のXMLに、僕の知っているこの機能を付加すれば、XMLはもっと素晴らしい存在になり、それを成した僕の優秀さが証明できるというわけである。

 もちろん、このような発想を持った時点で、彼は自分で思うほど優秀ではないことを露呈している。なぜなら、誰もが知っている機能を追加することよりも、実用性を失わずに機能を削る方が、はるかに優れた知性の証明になるからだ。しかし、世の中の風潮に後押しされ、彼らはそのことに気付くことができない。

技術の話というよりも、社会の話なのか?何か過去にあったのではないか?と勘ぐりたくなるほどの熱弁。読んでいて一体何の記事なのか見失いかけた。結局"LINQ "についてあまり理解できなかった・・汗 #CはこれからXML時代到来ということなのか?(違 っつーかXMLじゃなくってJSONの方が楽なんですけど駄目ですか?

しかしもうこのブログのカテゴリとかタグとか完全に崩壊してる・・・汗 3700近くのエントリーを整理する気力が無い。このままなだらかに崩壊していくだけ・・・。

Jan 162009

てんこもり。

てんこもり。 【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ【希望】

最近涙腺が弱くなったと実感します。
特に子供が出来てから。

Dec 052008

お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく

こういうのを読むと引きこもりも悪くないな・・と思う。

OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。
日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。
外国文化に負けまいとしているのではなく、
世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。
その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、
そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。

そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、
それがすごいものであることを知らされる。
ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。
もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。
だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、
この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、
知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。

ref.無題のドキュメント 素 直 に 感 心 し た コ ピ ペ

Dec 022008

The Demolished Man

「ぜんぜんつじつまが合わないじゃないですか。社会に反抗するだけの度胸と才能があるような人物は、かならず平均以上の人物に決まっている。そういう人間は、とっとかなくては。間違ってるところは治してやり、プラスの値打ちを持った人間に変えてやる。なぜ、無駄にしたりするんですか?そんなことばかりやってると、世の中は羊みたいな、ことなかれ主義の連中ばかりになっちまう。」

「どうだったのかな、ぼくにはよくわからんが。きっと、そのころは、羊みたいな人間だけが必要だったのかもしれませんな。」

1953 / Alfred Bester

Nov 052008

お前らの作品は所詮コピーだ

「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5) - ITmedia News

ガツンと来た。好き嫌いは分かれると思うけど、このパワーというか傍若無人さはすごい。

Sep 162008

定石を軽く壊す

サイゼリヤがすげーw - teruyastarはかく語りき

定石ってのは鼻息荒く壊すものではなく、鼻歌程度で壊れちゃうのかもしれない。
だからこれを鼻息荒く読んじゃ駄目なんだろうな。

Aug 062008

耳元にささやく

デザインの世界でもあると言えばある話。

数学者と統計学者と会計士の3人が、ある会社の入社面接を受けた。
まず数学者が面接会場に入室した。
面接官は、「1たす1はいくつですか?」と質問した。
数学者は、「2です。」と答えた。
面接官は、「きっかり2ですか?」と聞き返した。
数学者は、「何をおっしゃいます。1たす1はきっかり2にきまってます。」
と答えた。
次に、統計学者が入室した。
面接官は、「1たす1はいくつですか?」と質問した。
統計学者は、「およそ2ですね。」と答えた。
面接官は、「およそですか?2きっかりじゃないんですか?」と聞き返した。
統計学者は、「はい。最初の1と1に誤差がある可能性がありますのでね。」
と答えた。
次に、会計士が入室した。
面接官は、「1たす1はいくつですか?」と質問した。
すると会計士は、やおら席を立ち、入口の扉に鍵をかけ、窓のカーテンを
閉めた後、面接官の隣に腰を下ろし、面接官の耳元にささやいた。
「1たす1を、いくつにしたいのです?」

Jul 252008

パパチャリ

「ケイデンス90、時速25キロ!ムッフ~ン いいぞォー!!」
「いいーー!フルカーボンのこのしなり!
カンパのレコードにマヴィックのキシリウムSL!
いいーー!
実にいいーー!!」

「どけぇーータコォ!!!」

via:「毎月父さん:第18回戦」

Jun 172008

写真

写真論: スーザン・ソンタグ

写真撮影は経験の証明の道ではあるが、また経験を拒否する道でもある。写真になるものを探して経験を狭めたり、経験を映像や記念品に置き換えてしまうからである。旅行は写真を蓄積するための戦略となる。写真を撮るだけでも心が慰み、旅行のためにとかく心細くなりがちな気分を和らげてくれる。観光客は自分と、自分が出会う珍しいものの間にカメラを置かざるをえないような気持ちになるものだ。どう反応してよいかわからず、彼らは写真を撮る。お陰で経験に格好がつく。立ち止り、写真を撮り、先へ進む。この方法はがむしゃらな労働の美徳に冒された国民であるドイツ人と日本人とアメリカ人にはとりわけ具合がよい。ふだん齷齪働いている人たちが休日で遊んでいるはずなのに、働いていないとどうも不安であるというのも、カメラを使えば落ち着くのである。彼らにはいまや労働を優しく模倣したような手仕事ができた-----彼らは写真を撮れば良い。

イタタタタ・・・。

May 292008

頭から離れない

080529.jpg
ここ数日この言葉が頭から離れません・・・。

May 052008

遠離一切顛倒夢想

10年ぐらい前イベント関係で色々なインディーズバンドをチェックしまくっていた。その一つのバンド、super noteから解散報告の連絡がありました。
MESSAGE
解散に当たってのメッセージの中の一節。

それは僕が、この人生は恐らくきっとこのままじゃ何も好転しないんじゃないか? と遅ればせながら理解したというか.......つまり結局、家にじっと籠ってドラムを練習していても、才能の疑わしい(笑)誰かの指示に従って一生懸命ドラムを叩くだけでも駄目で、つまりそれって単に自分を正当評価される場から逃げていただけというか.....それまではどこかで誰かが実は僕を見ていて、ある日突然そんな僕をどこかの高みにヒョイと持ち上げてくれるんじゃないかと、そんな風に信じてきたのだけれど。 それに限界が来てしまったという事なのでしょう。

先日の希望塾の針谷さんの講義(apeirophobia: 希望塾 第2回:「ANSWRのメディアデザイン」 by 針谷建二郎氏)で感じたことの一つの顛末を見たような気がした。

自分の感情のどの部分かは良く分からない、的確に表現しにくい感情が誘起された。
そして適当なのか良く分からないけれど、表題の般若心経の一節が頭に浮かんだ。
ルサンチマンとか分かりやすい言葉で説明できないような何か・・・。
その先の何かなのかしら?良く分からないけれど・・。

Apr 172008

格闘バカ

オレは格闘バカだったのだ!!

格闘技が男をバカにするのか・・・
バカな男が格闘技にのめり込むのか!?

おそらくその両方であろう。
格闘バカにつける薬はない!

via:最強ロマン派 毎月父さん ヒラマツ・ミノル

いい言葉だ。

Apr 132008

ボクタチ

ボクタチ
モウズイブン昔ニ
ズイブン遠イトコロデ
死ンジャッテルンダケドサ


気ヅイテイナイカラ
気ヅカナイフリヲシテイルカラ
泥人形ミタク
黙々ト
イマデモ動イテンダゼ。
知ラナカッタンダゼ。

Mar 162008

朝起きるのがしんどいのは

起きても楽しいことが無いと思っているから。

なの?

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